町の歴史
吉野ヶ里町においては、弥生時代(約2千年前)の大規模な環壕集落跡である吉野ヶ里遺跡や、多彩な副葬品が発掘された三津永田遺跡・二塚山遺跡をはじめ、考古学的にも著名で重要な原始・古代の遺跡が多く分布しています。この事は太古の時代から人々が生活を営んでいた地域であることを示しており、出土した青銅鏡や銅剣などの遺物は大陸など他地域との交流を物語っています。
奈良時代の辛上廃寺や大宰府へと続く「西海道」の官道跡などは古代社会の発展過程を考える上で重要なものです。また、脊振山一帯は、およそ千年に渡り山岳仏教で名高い土地であり、その中心遺跡として古代から近世と続く霊仙寺跡が残っています。霊仙寺跡の石上坊跡は、「日本茶樹栽培発祥の地」との言い伝えが残る場所です。
江戸時代には、成富兵庫茂安によるとされる蛤水道が造られ、現在でも吉野ヶ里町の重要な水資源の一つとなっています。また、小倉〜長崎間(57里、約224キロメートル)を結ぶ長崎街道が中央部を東西に通り、田手宿・目達原に残る街並みから往時の面影を偲ぶことができます。
このような歴史のなかで、地域内には遺跡や歴史的建造物、寺社など多くの歴史的、文化的遺産があり、また、各地域では伝承芸能や伝統行事等が継承され、地域文化を形成しています。特に現在は、地域文化活動として赤熊太鼓や吉野ヶ里バンブーオーケストラなど、新しい文化が育ってきています。
旧三田川町のあゆみ
年度 |
月 |
概要 |
---|---|---|
9年 |
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苔野に区役所を設置し、東脊振村と2か村を管轄 |
12年 |
|
東脊振を分離、田手村、吉田村、箱川村、豆田村に各戸長役場を置く |
13年 |
9月 |
各戸長役場を合併し、田手村3か村戸長役場と称し、田手村に置く |
16年 |
|
田手村が西端に位置するため苔野に移す |
22年 |
4月 |
町村自治制施行により4か村を合一し、三田川村と称す |
24年 |
|
国鉄長崎本線開通 |
年度 |
月 |
概要 |
---|---|---|
2年 |
1月 |
三田川村役場に電話設置 |
年度 |
月 |
概要 |
---|---|---|
9年 |
|
三田川村立青年学校を設立 |
17年 |
|
陸軍目達原飛行場完成 |
18年 |
|
国鉄三田川駅開設 |
27年 |
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|
28年 |
|
南部大洪水 |
29年 |
|
陸上自衛隊九州地区補給処設立 |
35年 |
|
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37年 |
12月 |
村簡易水道送水開始 |
38年 |
|
|
39年 |
|
中学校体育館完成 |
40年 |
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41年 |
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誘致工場佐賀エレクトロニックス株式会社佐賀工場操業開始 |
42年 |
|
国土調査開始 |
42年 |
|
誘致工場佐賀酸素工業株式会社操業開始 |
43年 |
|
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44年 |
11月 |
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45年 |
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46年 |
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47年 |
7月 |
三池信氏(田手宿)郵政大臣に就任、名誉町民第1号 |
48年 |
3月 |
三田川町立三田川中学校防音鉄筋改築工事完了 |
48年 |
6月 |
三田川町立北部保育園開園 |
48年 |
11月 |
三田川町立三田川小学校建築起工式行われる |
49年 |
6月 |
誘致工場15番目の中国塗料株式会社九州佐賀工場建設起工式行われる |
49年 |
11月 |
三田川町名誉町民第2号が故江口伊四郎氏に贈られる |
50年 |
2月 |
土地改良(圃場整備)開始 |
50年 |
4月 |
目達原歩道橋完成 |
50年 |
6月 |
伊保戸地区圃場整備事業完成 |
50年 |
10月 |
中部ライスセンター完成 |
50年 |
12月 |
三田川町民集会所完成 |
51年 |
3月 |
三田川町立三田川小学校防音鉄筋改築工事完了 |
51年 |
10月 |
第31回佐賀国体ラグビー試合会場となる |
52年 |
4月 |
児童体育館竣工 |
52年 |
10月 |
南部ライスセンター完成 |
53年 |
10月 |
脊振共同塵芥処理センター完成 |
53年 |
11月 |
中央公民館落成。三田川町歌、三田川音頭制定 |
54年 |
|
立野町民グランド開設 |
54年 |
9月 |
ナイター施設完了(中学校) |
55年 |
7月 |
農集電話を普通電話に一切切替 |
55年 |
8月 |
商工業研修施設(商工会)落成 |
55年 |
10月 |
誘致企業株式会社ヤマコ佐賀工場操業開始 |
57年 |
5月 |
|
57年 |
5月 |
誘致企業九州日東電工株式会社本社工場操業開始 |
57年 |
6月 |
佐賀東部中核工業団地完売(造成完了53年度) |
57年 |
9月 |
誘致企業田中電子株式会社佐賀工場操業開始 |
58年 |
3月 |
庁舎防音改築改造工事完了 |
59年 |
3月 |
農村総合整備計画書策定完了 |
59年 |
8月 |
三田川町民温水プール完成 |
59年 |
10月 |
誘致企業児島段ボール株式会社佐賀工場操業開始 |
59年 |
12月 |
誘致企業有限会社合瀬製作所操業開始 |
60年 |
9月 |
神埼工業団地基本計画書策定完了 |
61年 |
7月 |
三田川町の町木、町花に桜が指定される |
61年 |
11月 |
第1回三田川町ふるさと祭開催 |
62年 |
3月 |
三田川町民武道館完成 |
62年 |
9月 |
三田川中学校大規模改修工事完了 |
63年 |
3月 |
南部地区ふれあいセンター完成 |
63年 |
10月 |
名誉町民故三池信氏、故江口伊四郎氏胸像建立 |
63年 |
10月 |
三田川町社会福祉協議会法人化 |
年度 | 月 | 概要 |
---|---|---|
元年 |
2月 |
吉野ヶ里遺跡の発見が全国に報じられる |
元年 |
7月 |
三田川町中央公園造成工事着工 |
2年 |
5月 |
吉野ヶ里遺跡が国の史跡に(22ヘクタール) |
3年 |
3月 |
多目的広場完成 |
3年 |
5月 |
吉野ヶ里遺跡が国の特別史跡に |
3年 |
10月 |
第1回人材育成海外派遣事業 |
3年 |
10月 |
第1回吉野ヶ里フェスタ |
4年 |
3月 |
駅名改称及び駅周辺整備促進期成会発足 |
4年 |
5月 |
天皇皇后両陛下、吉野ヶ里遺跡をご視察 |
4年 |
8月 |
清子内親王殿下、吉野ヶ里遺跡をご視察 |
4年 |
10月 |
吉野ヶ里遺跡及び周辺地域の国営公園化が閣議決定 |
5年 |
1月 |
役場土曜閉庁開始 |
5年 |
3月 |
中央公園野球場完成 |
5年 |
7月 |
首都圏みたがわ会発足 |
5年 |
8月 |
総合福祉保健センター完成 |
5年 |
10月 |
JR「三田川駅」が「吉野ヶ里公園駅」に改称 |
6年 |
2月 |
農業集落排水本管布設工事開始 |
6年 |
3月 |
中央公園全体事業完成 |
6年 |
9月 |
三田川町ボランティア連絡協議会発足 |
6年 |
11月 |
公共下水道本管布設工事開始 |
6年 |
11月 |
誘致企業株式会社不二家九州工場操業開始 |
7年 |
|
農業集落排水箱川地区処理場完成 |
10年 |
|
浄化センター完成 |
12年 |
|
駅コミュニティホール完成 |
13年 |
4月 |
国営吉野ヶ里歴史公園一部開園 |
14年 |
|
憩いの家完成 |
旧東脊振村のあゆみ
年度 | 月 | 概要 |
---|---|---|
22年 |
4月 |
|
24年 |
12月 |
|
25年 |
|
|
29年 |
9月 |
神埼高等小学校三津分校設置 |
32年 |
|
下石動溜池新設 |
33年 |
|
松隈〜小川内間道路工事完成 |
35年 |
|
農事改良視察団を派遣し農事改良に着手 |
40年 |
|
脊振村との村界紛争おこる |
42年 |
|
大水害起る 被害70ヵ所 |
43年 |
|
製紙伝習所を西石動に設立 |
44年 |
|
産業組合(現農協の前身)設立 |
年度 | 月 | 概要 |
---|---|---|
2年 |
|
山田道路改良成る |
4年 |
|
上石動溜池新設 |
8年 |
|
農業補修学校を設置 |
12年 |
|
松隈発電所を設置し村内に電灯ともる |
15年 |
|
|
年度 |
月 |
概要 |
---|---|---|
2年 |
|
公民学校設置 |
5年 |
4月 |
|
7年 |
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|
10年 |
|
坂本〜上石動道路大改修工事完成 |
10年 |
4月 |
青年学校設置 |
11年 |
|
村政混乱、職務菅掌村長就任 |
14年 |
|
大旱害により水稲収穫皆無田続出 |
16年 |
|
西鉄バス開通(松隈〜佐賀) |
17年 |
|
森林組合設置 |
20年 |
10月 |
国立肥前療養所設置 |
21年 |
2月 |
農地改革実施 |
22年 |
|
第1回議会議員選挙 |
22年 |
5月 |
東脊振中学校、小川内中学校設置 |
23年 |
|
水害見舞う |
24年 |
1月 |
民生授産場設置 |
24年 |
6月 |
三津山田溜池完成 |
25年 |
9月 |
村岡嘉六氏、国際労働会議を終え郷土入り |
25年 |
10月 |
国勢調査、戸数 853戸、人口 5,181人 |
26年 |
3月 |
永田ヶ里内川義高選手ボストンマラソンへ出発 |
26年 |
4月 |
|
26年 |
7月 |
第一回農業委員会委員選挙 |
27年 |
7月 |
佐賀〜松隈間バス開通 |
28年 |
6月 |
台風15号襲来、道路、橋りょう、堤防等30数ヵ所決壊 |
29年 |
9月 |
|
29年 |
11月 |
全国町村会より優良村として表彰 |
30年 |
10月 |
農業協同組合松隈製茶工場落成 |
31年 |
4月 |
三津土地改良事業完成 |
32年 |
3月 |
町村合併知事勧告を受く(三田川町) |
32年 |
4月 |
東脊振幼稚園設置 |
32年 |
12月 |
下三津西果樹園造成及び農協にみかん選果場新築 |
34年 |
4月 |
|
35年 |
4月 |
小川内中学校を東脊振中学校に統合し、同校舎を移築改造して東脊振中学校寄宿舎設置 |
35年 |
12月 |
三津住宅完成(20戸) |
36年 |
4月 |
大曲地区簡易水道設置 |
37年 |
4月 |
東脊振村幼稚園開設(私立を村立に) |
38年 |
8月 |
授産場閉鎖 |
38年 |
5月 |
小川内簡易水道設置 |
39年 |
2月 |
岩倉橋架替 |
39年 |
5月 |
農村集団自動電話 |
40年 |
5月 |
東脊振小学校改築 |
41年 |
3月 |
小学校落成式 |
41年 |
9月 |
三田川町、上峰村、東脊振村合併に就いて、上峰村が町村合併不参加表明 |
42年 |
8月 |
西鉄バス路線延長し、永山まで開通 |
42年 |
10月 |
松隈発電所、四五年の大役果し閉鎖 |
42年 |
12月 |
川原団地村営住宅完成(24戸) |
43年 |
3月 |
茶の起源調査の為名古屋大学一行来村 |
43年 |
10月 |
みかん共同選果場、操業開始 |
44年 |
10月 |
川原橋拡張 |
45年 |
10月 |
消防操法佐賀県大会優勝、全国大会出場 |
46年 |
1月 |
農村集団電話全村普及なる |
46年 |
6月 |
東部工業団地形成、用地買収始まる |
47年 |
7月 |
水害激甚、災害地の指定 |
47年 |
9月 |
村道の完全舗装改良工事始まる |
47年 |
12月 |
小川内小学校電話架設 |
48年 |
4月 |
村庁舎落成 |
48年 |
6月 |
村で初の信号機設置、中副交差点 |
48年 |
8月 |
神埼郡農協東脊振支所新築落成 |
48年 |
9月 |
九州横断道路造成決定 |
49年 |
4月 |
佐賀東部中核工業団地開発所設置 |
49年 |
8月 |
幼稚園改築落成 |
50年 |
4月 |
福岡、那珂川、神埼線国道昇格、国道385号 |
51年 |
3月 |
辛上橋架替 |
51年 |
7月 |
東脊振音頭レコーディング全世帯配布 |
51年 |
9月 |
村民プール完成 |
52年 |
2月 |
中学校新築一期工事完成 |
52年 |
3月 |
大曲地区簡易水道布設 |
53年 |
7月 |
丸山球場落成 |
53年 |
8月 |
|
54年 |
4月 |
東脊振村役場前にナイター施設付運動公園完成 |
55年 |
10月 |
上三津西福光久代選手走高跳び1メートル91の日本新記録を更新 |
55年 |
12月 |
学校給食始まる |
56年 |
11月 |
小川内小学校新増築始まる |
57年 |
6月 |
大塚製薬工業団地進出調印式 |
58年 |
7月 |
中の原団地四階建て中層住宅完成 |
59年 |
2月 |
インターチェンジ名称「東脊振インター」に決定 |
59年 |
6月 |
福光久代選手ロスオリンピック出場壮行会 |
59年 |
12月 |
国土調査事業完了 |
60年 |
3月 |
東脊振インターチェンジ供用開始 |
60年 |
7月 |
東脊振村文化協会発足 |
60年 |
8月 |
どじょう祭り開催 |
60年 |
10月 |
|
61年 |
2月 |
第一回東脊振村さざんか剣道大会 |
61年 |
3月 |
石動橋落成 |
61年 |
6月 |
献穀田御田植式 |
61年 |
9月 |
小学校体育館起工式 |
61年 |
10月 |
東脊振小学校ソニー理科教育振興優秀賞受彰 |
62年 |
3月 |
小学校体育館落成 |
62年 |
5月 |
|
62年 |
11月 |
第一回ふる里まつり |
63年 |
1月 |
|
63年 |
4月 |
一般国道385号第一期工事区間開通 |
63年 |
10月 |
中国より陸羽研究会霊仙寺訪問 |
年度 |
月 |
概要 |
---|---|---|
元年 |
|
|
2年 |
|
|
4年 |
|
天皇皇后両陛下御来村 |
9年 |
|
農業集落排水事業全地区供用開始 |
10年 |
|
保健福祉センター「きらら館」完成 |
11年 |
|
県営圃場整備事業佐賀東部地区(東脊振工区)完了、三津工業団地造成 |
13年 |
|
第4次東脊振村長期総合計画策定 |
13年 |
6月 |
鴨井手橋開通 |
14年 |
11月 |
東脊振トンエル起工式 |
14年 |
12月 |
五ヶ山ダム損失補償基準調印式 |
15年 |
10月 |
さざんか号運行開始 |
16年 |
2月 |
東脊振トンネル貫通式 |
16年 |
4月 |
皇太子殿下御来村 |
16年 |
12月 |
三田川・東脊振地区法定合併協議会発足 |
17年 |
3月 |
三田川・東脊振合併協定調印式 |
17年 |
7月 |
佐賀県議会三田川・東脊振廃置分合議案可決 |
17年 |
8月 |
ペットボトル栄西茶地域限定販売開始 |
17年 |
9月 |
東脊振幼稚園落成式(全国初の防音木造建築) |
17年 |
10月 |
小川内地区離村式小川内小学校廃校式 |
18年 |
3月 |
東脊振村と三田川町が合併、新「吉野ヶ里町」誕生 |
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